夢野久作の代表作『ドグラ・マグラ』。
圧倒的に怪しいタイトルと作者名や、「日本三大奇書」の一角という評価から、読んだことはなくても、聞いたことはある、なんとなく知ってる、けど近寄りがたい、といった形で存在を認識している人は少なくないと思います。
あなたはこの『ドグラ・マグラ』について、どんなイメージをお持ちですか?
表紙が怖い?
読んだらおかしくなりそうで不安?
ホラー系苦手だから無理?
チャカポコが不気味?
結論を言うと、そんなグロテスクなもんじゃありません。
『ドグラ・マグラ』は、インテリジェンスな空気感を纏い、同時に地方の土着信仰の泥臭さも併せ持った、パワー溢れる推理小説の大傑作です。
え、推理小説なの?
あえて分類するならば、ですけどね。
基本中の基本である「犯人は誰か」という「謎」を追うのが、作品の大筋ではあります。
それでは、まずこの小説のあらすじを紹介しましょう。
そもそも、どういう話?
ブウウ――――――ン・・・という音で目を覚ました主人公。
気がつくと彼には一切の記憶がありません。
そこに現れた、担当医の若林と名乗る男によると、彼は九州大学の精神科に入院している患者とのこと。
彼が記憶を失った経緯には、「精神科学を応用した犯罪」(人の精神の脆弱性を利用し、無意識のうちに犯罪を犯させる)及び、九州大学狂人解放治療場における「未曾有の惨事」があり、その犯罪の核心部分について知っているのは、彼だけであるため、彼が記憶を取り戻すことが、捜査上も極めて重要であるとのこと。
法医学者の若林博士および精神医学者の正木博士との面談を通じ、徐々に事件の輪郭をつかんでいく主人公。
「精神科学応用の犯罪」とは何だったのか?
解放治療場における惨事とは何だったのか?
誰がこの事件を仕組んだのか?
彼はいったい誰なのか?
といった謎が徐々に解き明かされていく、ミステリーのような、推理小説のような筋立ての話です。
よくある誤解
怖い? グロい? 気持ち悪い?
という印象を抱かれる方もいると思いますが、そうでもありません。
いわゆる狂気に駆られた人間がスプラッターを繰り広げる・・・という話ではないし、まあ殺人なんかも起きますけど、それらの出来事はすべて「過去に起こったこと」であり、若林博士や正木博士の口から「こんな事件があって・・・」と聞かされるだけです。
したがってそういったシーンが情感たっぷりに描写されることもありません。むしろかなり淡白な描き方です。
『ドグラ・マグラ』の、魅力
「精神科学応用の犯罪」というメインテーマ
朝、起きたらいきなり警察がやって来て、
「君、ゆうべ人を殺したよね」
と、身に覚えのない罪状を突きつけられたら、どうでしょう?
実はこれが、『ドグラ・マグラ』の大きなテーマです。
正木博士の学説によれば、人間の精神には「夢中遊行」を起こしてしまう脆弱性があるとのこと。
この「夢中遊行」というのは、眠っている間に無意識にいろんなことをしてしまって、起きたらそれを覚えていない、っていうやつです。
軽度のものだと寝言なんかも当てはまりますが、なかには夢遊病のように重度の症状が出てしまう人もいます。
これを利用すれば、ある人に暗示をかけて無意識に殺人などの犯罪を実行させることが出来ます。実行した本人は自分がやったことを覚えていないし、ましてや黒幕の人間にたどり着く物理的な手がかりは何も残りません。
この技術が実用化されてしまうと、もはや警察は無力です。
それで悪い人間がこのノウハウを手に入れる前に、その原理を明らかにして、犯罪捜査の手法も確立しようとしているのが、精神医学者の正木博士と法医学者の若林博士です。
しかしその道半ば、まさしくこの「精神科学応用の犯罪」が発生してしまいました。
実行犯は青年・呉一郎。
彼自分の許嫁であった従姉妹の呉モヨ子を絞殺し、その屍体が腐敗する様子を写生しようとしているところを発見されます。しかしその時すでに一郎の精神状態は正常でなく、動機やその経緯は一切分かりません。
これが「夢中遊行」中のことであると見当をつけたのが正木博士。
一郎を開放治療場に引き取り、治療するなかで記憶を取り戻させ、彼に暗示をかけて犯罪を行わせた黒幕を明らかにしようと試みます。
というのが、この小説の「推理小説」的なスジです。
物理的に痕跡の残らない「精神科学応用の犯罪」に対し、どうアプローチするのか。
他の推理小説では、ちょっとあり得ないテーマで、ワクワクしますね。
強烈な文体
名作というのは、えてして書き出しも印象的なものです。
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。
であるとか、
吾輩は猫である。名前はまだ無い。
春はあけぼの。やうやう白くなりゆく、山ぎはすこしあかりて
月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人なり。
なんてやつですね。
では『ドグラ・マグラ』の書き出しを見てみましょうか。
…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。
・・・いかがでしょうか。
素晴らしいですね。これは完全にヤバいやつです。
続く文章はこんな感じ。
私がウスウスと眼を覚ました時、こうした蜜蜂の唸るような音は、まだ、その弾力の深い余韻を、私の耳の穴の中にハッキリと引き残していた。
それをジッと聞いているうちに……今は真夜中だな……と直覚した。そうしてどこか近くでボンボン時計が鳴っているんだな……と思い思い、又もウトウトしているうちに、その蜜蜂のうなりのような余韻は、いつとなく次々に消え薄れて行って、そこいら中がヒッソリと静まり返ってしまった。
私はフッと眼を開いた。
「蜜蜂」「弾力」なんかも地味に効きます。
耳の中で蜜蜂が飛び回っているかのような音、ってこと。
想像してみると危険で、かつ気持ち悪いです。
そこからの連想で「弾力」と来ると、縞模様の入ったぶにぶにとした蜂の腹部が連想され、なんとも言えません。カタカナの擬音語・擬態語も、微妙に気持ち悪いです。
続いて、次第に目が覚めるにつれて、主人公が自分を忘れている事に気づくというシーンです。
……おかしいぞ…………。
私は少し頭を持ち上げて、自分の身体を見廻わしてみた。
白い、新しいゴワゴワした木綿の着物が二枚重ねて着せてあって、短かいガーゼの帯が一本、胸高に結んである。そこから丸々と肥って突き出ている四本の手足は、全体にドス黒く、垢だらけになっている……そのキタナラシサ……。
……いよいよおかしい……。
怖わ怖わ右手をあげて、自分の顔を撫でまわしてみた。
……鼻が尖んがって……眼が落ち窪んで……頭髪が蓬々と乱れて……顎鬚がモジャモジャと延びて……。
……私はガバと跳ね起きた。
モウ一度、顔を撫でまわしてみた。
そこいらをキョロキョロと見廻わした。
……誰だろう……俺はコンナ人間を知らない……。
違和感がうっすらうっすらと募り、急転直下、自分を知らない事に気がつく。
この書き方は見事だと思います。
「記憶喪失」という症状自体は小説やドラマではときどき見かける設定です。
しかし自分の身体、風体に対する異物感から徐々に焦点を映すようにして「俺はコンナ人間を知らない」なんて言わせたケースは見た事がありません。
頭を抱えて「思い出せない・・・」なんて言っているのと比べて、もっと物理的にガツンと来るような迫力があり、実に鮮やか、上手です。
また、やはりカタカナ使いが巧みです。硬質で、不気味で、それでいてどこかコミカルな、絶妙なところを押さえてきてます。
5W1Hが、いつまでたっても分からない
良い文章を書くためには、5W1Hを明確にすることが大切です。
5W1Hがはっきりしていないと、その文章は「ドグラ・マグラ」になってしまいますよ。
という冗談はさておき、本書では主人公が記憶喪失であり、その記憶を取り戻すのが鍵になる、というのはすでに申し上げました。
読み進めるにしたがって、今は大正15年11月、ここは九州大学・・・といった事実を聞かされることになりますが、「それが本当なのか?」っていう疑問が常につきまとうのが、この小説の特徴です。
「あなたが何故ここにいるのか、それは自分で思い出して証言して頂かなければなりません。私の口から教えることはできますが、ソンナ事は知らない、と言われてしまえばそれまでです」
「若林はお前に、自分が呉一郎だと思い込ませようとしているのジャ」
なんて具合で、人から聞かされる話は基本的にアテになりません。
かといって、主人公は入院患者なので、自分で出歩いて情報を集めることもできません。
結局、自分が誰なのか? 今はいつなのか? ここはどこなのか? という謎は、常に目の前に浮かんだままです。答えは次々と提示されるそばから否定されます。
とどのつまり、誰なの? いつなの? どこなの? という、基本的な謎が常に気になるもんだから、歯ごたえのある文章ではありますが、ついグイグイ読み進めてしまいます。
作中に『ドグラ・マグラ』が登場する
こういうメタなやつ、大好きなんですが、その登場の仕方が奮ってます。
精神医学部の教授室の一角に、患者からの提出物が並んだ棚があります。
「私はこんなものが作れるくらいに正常になったので、退院させてください」という趣旨で提出された物たちで、火星征伐の建白書だとか、鼻くそで作った観音様だとかが並んでいるのですが、その並びに置かれている、ある精神病患者の著作物が『ドグラ・マグラ』です。
なるほど、作中のドグラマグラと、この現実のドグラマグラは別物なのかな? と思うでしょう? ところがどっこい、この作中のドグラ・マグラについて、次のように言及されます。
インキのゴジック体で『ドグラ・マグラ』と標題が書いてあるが、作者の名前は無い。
一番最初の第一行が……ブウウ――ンンン……ンンンン……という片仮名の行列から初まっているようであるが、最終の一行が、やはり……ブウウ――ンンン……ンンンン……という同じ片仮名の行列で終っているところを見ると、全部一続きの小説みたような物ではないかと思われる。何となく人を馬鹿にしたような、キチガイジミた感じのする大部の原稿である。
自分で「キチガイジミた感じ」なんて言っちゃってるのもナカナカですが、注目したいのは、書き出し・結びがともに「ブウウ――ンンン」である、ということ。
これ、実物の『ドグラ・マグラ』と一致しているんですね。
他にも、正木・若林両博士が登場することや、学術論文のようでもあるし、探偵小説のようでもある奇妙な構成、正木博士の論文やチャカポコ経文が作中に織り込まれていることなど、実物と同一の物であることが伺えます。
極めつけは、若林博士が述べる、この作品についての解釈。
「じつは最初と最後の時計の音は同じひとつの時計の音で、その間の一切合財は、時計の鳴っている一瞬のあいだに精神病患者が見た夢に過ぎないと思われる・・・」
って、完全にやっちゃってます。
この「作中のドグラ・マグラ」が登場するのは「実物ドグラ・マグラ」の書き出しから20%くらい読み進めた位置。つまりまだ序盤もいいところなんですが、そんなタイミングで夢オチをほのめかす、その大胆さ。
しかしこんな事をされても興味が失せないのがこの小説のスゴいところです。
「若林の言うことは信用できないからな。本当に夢オチになるのか?」なんて疑ってしまって、結局最後まで読んでしまいます。
また、「作中のドグラ・マグラ」を読んだ学者のひとりが、ノイローゼになって自殺してしまったとも書かれています。
このあたりが、「実物のドグラ・マグラ」の「読んだら気が狂う」説につながっているんでしょうね。
まとめ
以上、『ドグラ・マグラ』のあらすじと魅力をご紹介させていただきました。
『ドグラ・マグラ』の魅力は、
・「精神科学応用の犯罪」というテーマ
・強烈な文体
・5W1Hが分からない
・作中にドグラ・マグラが登場する
あたりです。
もっともっとあるんですけど、代表的なところをピックアップしました。
本当に面白い小説なんですが、イメージだけで敬遠している人も多いと思うので、非常にもったいないです。
今読むなら、表紙が完全にイっちゃってる角川文庫版が入手しやすいほか、「青空文庫」でも公開されています。
ぜひ、チャレンジしてみてください。
最後に、言うまでもないことですが、私は『ドグラ・マグラ』を何度も読んでいますが、気が狂ったりしていません。アハアハアハ・・・
・・・スカラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコ・・・